夏の湿度が消えたせいで、思考が明晰のよう。
暑いうちは勢いでざーっと済ませていたはずのことも
ひとつずつ立ち止まって、その意味を考えたりする頃。
誰かの悲しみも、風にのって伝播してくるくらい。
また武満徹の「サイレント・ガーデン 滞院報告・キャロティンの祭典」を
読み進めているところでもあるので、余計に普段の生活に
耳を澄ませる習性にある。
ーー 病室には生活音が無い。例えばペットの鳴き声、
水道の皿を洗う音、遠くの子供の声 etc.
当たり前に目の前に在るものへの愛おしみほど
分ちがたいものはないと、朝の光を見るにつけ思う。
どうにか輪郭づけて、ほらほらと見せようとも
まだ少し寝ぼけている間に、あっという間に消えてしまう。
病院というと、思い出すのはやはり祖母のこと。
きっと頭の中は変わらず快活であるのに、
いまや言葉が、体が、ついていかない。
この間、顔を見て帰ろうとしたところ、
祖母の今ある力を残らず振り絞り、私達を呼び止めた声は
すごく強かった。
もう10年以上も前になるけれど、今は亡い祖父を
当時は車椅子に乗って外出していた祖母と2人で見舞った際、
今は面会できないと病院側から告げられた時の、無音の長い長い廊下。
あの時も、祖母の強い意志でなんとかかんとか
祖父に会ってから帰路についた。
そんなことを思い出す傍ら、今朝もちゃんとお腹が空き、目が覚め、
朝ごはんを食べ、今日は誰に会おうか、夜は何を食べようか、と
まるで何とも思っていないように当たり前に、
私は今を幸せに暮らしている。

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