編みものに没頭する時間が増えることと比例して
家でピアノを弾く時間がめっきり減ってしまいました。
どうやらどちらも似たような作用が働くよう。
考えてみると、編みものをしながらたまたまTVで放送されている
外国の古い映画やドラマ(ミス・マープルなどが流れているとうれしい。)を
流し見しつつ、そこにはコーヒーの匂いがして、ちょっとおやつを齧って・・・
という一連のことは、すべてわたしが幼い頃に母の傍らで過ごしていた時間そのもの。
当時の母くらい大人になった今、自らそれそのままに再現しているのです。
東京に引っ越してからも、自分の部屋にピアノがあることで
安心感を得られたのは、やはり幼い頃への郷愁の中に
ひとり身を置くことができたからかもしれません。
ピアノも編みものも、教本に倣って1音ずつ(1目ずつ)
かたちにしていく時間を地道に重ねていけば
いつしか1曲(1枚)の作品が出来上がり、そこには
何となく自分らしい味わいみたいなものが乗っかっているという
行程そのものが似ているところも、きっと気性に合っているのだと
思われますが、編みものをする行為を介して
わたしは過去への憧憬にとっぷりと浸ることで、
心の安寧を得ているのだ、ということに、つい先日はっと気づきました。
得てして現在編みものをしている時間も
いずれ自分にとって手放しがたい、過去の時間となるのです。
思い出されたのは随分前に手に入れた、
葉っぱの坑夫さんから出版されている
「Strings; 糸ごよみ 1800年代、2人のヤカマ・インディアン女性の記録」。
(さらに原書はこちら。"
Strings: The Lives of Two Yakama Women in the 1800s" )
これは1800年代のヤカマ・インディアンの女性たちが、自分達の日ごろの思い出を
結んだひもに託して、各々の暦を作ったという記録の書。
娘が生まれた時に新しく結びはじめ、結婚するときに
母から娘へひもを渡すという説もあります。
あの時のあの子の仕草、読んでいた本のこと、ちょっとしたことですが
編んでいる途中に起きた出来事が、自分で編んだ1枚にも
見えない痕跡を残しているようにも思います。
長い長い糸を編んでいくことで、とめどなく流れる時間を、現在を、
ちょっとでも記憶に留めておきたいのかもしれません。
でも今日はちょっとピアノも弾いてみようかな、と思います。
なんとなく。
*
写真のセーター。
よぉく見るまでもなく大胆に模様を編み間違ってますが、これも思い出。