5.24.2008

おやつ


おんなじものをおんなじ場所で
食べることに
安心感を得られるからか
ひとつ気に入ったおやつは
ひたすらに日々食べ続ける傾向があります。

京都では、隣りのカフェでほぼ毎日といっていいほど
およそ同じ時間に同じパフェを食べてました。
たぶん冬も。
おいしかったなぁ。

浜田山に引っ越してからは
petit OSAWAのチョコレート菓子・ガーナと
カテリーナの浜シューは
何個食べたかわかりません。
おみやげにも、しつこいくらいに携えていきます。

最近ではle soleilというパン屋さんの
メレンゲココ(たしかそんな名前)が大流行。
小さなお店なので、お会計の際に
店員さんが心の中でつぶやいた
「また!」という言葉が聞こえた気がして、
「はまってしまいました。」と、正直に述べたところ
「食べ過ぎに注意してくださいね。」と
たしなめられました。
きっと原材料のかたちに戻してみたら、
ものすごいお砂糖の山なんだと思います。

仕事の日の夕方は、デパ地下で、豆乳どら焼きを買います。
豆乳がどこに使われてるのか、あんまりわかりませんが
生地がいい色で、すべすべしているところが好き。
こちらもひとりで食べてるところを
同僚によく目撃されては、一笑されます。

どら焼きと同じフロアのジェラート屋さんに行くときは、
数あるジェラートを目の前に悩んでみつつ
結局いつも「チョコレート」と「ラムレーズン」の
組合わせを選ぶのです。

そんなことも含めて、ちょっと心安まるのかも。
おやつの時間。欠かせません。

* 写真はピンクの豚のめがね拭き。
  気に入ってます。

5.18.2008

再会ふたつ


4月と5月に、およそ6、7年ぶりの
再会となる大阪の友だちが、
銀座のお店にひょっこりやって来ました。

4月。
すごくすごく久しぶりなのに
南船場での日々を、すぐに
思い起こさせてくれたのは、
アサンスール姉妹。
ふくちゃんは以前に増して個性的でしたが、
およそ久しぶりとは思えないくらい、
はしゃいでしまいました。

会話にのぼる固有名詞も、水森亜土ちゃんから銀杏BOYZの峯田くんまでと
一貫しているような、ばらばらなような。(たぶんばらばらの方。)
でも会ってなかった長い月日が、その場でいっぺんに吹き飛んだみたいでした。

5月。
みえちんと連れ立って現れたのは
女学院の写真部で、ひとつ先輩だったくまちゃん。
「写真部 部長」という肩書きさえも
なんだかカワイイものに思わせる、ほんわりした雰囲気はそのまま。

くまちゃんも友人の中では指折りの
精度の高い記憶タンクを、頭の中に持っていて
その細かな記憶力には、ほんとに感心します。

学園祭の時などに、こまごま絵を書いていたわたしに向かい
「なんでひろちゃん絵うまいの?」と聞いたら
「わたし絵を描く練習してるねん。」と答えたそう。

その会話について、わたしは何ひとつ覚えておらず、
練習した跡形もない上に、絵なぞすっかり描かないこの頃ですが
わたしのことばをそのままに、数日くまちゃんは、絵の練習に励んだ。
・・・という事実を、およそ10年後に知って、
またさらに、くまちゃんのことを好きになりました。
今くまちゃんはインドに住みたい衝動に駆られるまま
活動しているようで、とてもまぶしかったです。

写真部とはいえ、ただぱちぱちと
友だちや学校を撮っていただけですが
それでも撮りためておいてよかったな、と思います。

今くらいの季節には、噴水をながめながら、
ヴォーリスの校舎に囲まれる中庭で、お昼を食べつつ
友だちとおしゃべりしてたなんて !
贅沢な時間でした。

その時に流れてた時間を、ちょっとだけ銀座で味わえた気がして
きっとすごくうれしかったのです。

5.16.2008

家のなか





めずらしくお休みの日に早起き。
洗濯機を3回転。
遅ればせの衣替えも。
傘も干して、掃除もして、さっぱりしてから
ピアノを弾きました。

そのあと、ずっと新調したかった、
ざぶとんカバー作りに取りかかります。
たたたとミシンで縫って、買っておいた
転写プリントをアイロンでくっつけて完成。
なんだかようやく冬から抜け出せた気がします。

ざぶとんカバーの中に入っているお座布団は
祖母が毛糸で編んだもの。
絶妙な色合わせなので、今の部屋にそのまま使うのは、
なかなかむずかしいところ。
いつ作られたのかわかりませんが、クッションカバーは
モチーフがかわいいので、そのまま持ってきて使っています。

思えば家のあらゆるものが、祖母によって(母もですが)手づくりされており、
その細かな編み目、膨大な作業量を思うと感心します。
そのほか、祖母がOL時代に作ったプリントスカートは
縫製もきちんとしていて、めずらしい柄なので今もはいています。
母がお嫁にきた時に作ったというマフラーも、冬に巻いてます。
どれも、時代を超えてちゃんとおしゃれ。
他にも色々と気に入ったものを、家の中で見つけては
いつのまにやら私のものにしてしまいました。

大正生まれの祖母が、少し前に
「こないだまでハタチやったのになー。
 あっというまやわー。」と言っていました。
ほんとに心からそう思っているふうだったので、
わたしも50年後くらいに同じことを呟くのと思います。
その時にはますます思い入れの深まったもの
たくさんに囲まれて、ごきげんなはず。

5.08.2008

めがねよ


久しぶりにゆっくりした休日。

お昼間の日の光を浴びて道を歩く。
小学生の下校風景を眺める。
洗濯物のはためく音と、スズメの声。

お休みの昼下がり、そういうごく当たり前の平和な光景が
日頃ちょっと早まっていた自分の速度を
ちょうどいいところに戻してくれるような気がします。

夜はめぐちゃんに頂いた布のキットを使い、
無心になってコサージュを作成。
ちくちくちくちく・・・という音だけの時間。
こちらもときどき必要な時間みたいです。

ひとつ気がかりは、今朝なくしためがねが
まだ見つからないこと。

先日、歯磨きチューブの上にめがねを置いたら、あっけなく落下。
さっそく新しいものを注文してきました。
昨日はレンズを無理やりくっつけためがねをかけて
映画を観たまま寝てしまったよう。
が、今朝目覚めたら見つからず、
枕元や、思い当たるところを探せど見つかりません。
(もちろん頭の中は めがねめがね・・・ のフレーズです。)

あまりの粗雑な扱いに、めがねが拗ねてしまったように思えてなりません。
こうなったら、一体どんなおかしな場所で発見されるのか
楽しみになってきました。

ずいぶん前、めがねをかけたまま眠る妹を見て
「めがねして夢見てる。」とうれしそうに言った母。
たしかに今朝は、いつに増してたくさんの夢をみた気がします。

5.04.2008

ひょん

ひょんなことから始まったのに
わたしの中で、どんどん濃度が高まっている
東京BlueWeeps のバンド活動。
昨日は渋谷La.mamaにて、1曲ピアノを弾きました。

大阪から来てくれた妹(ぽっちゃり)をはじめ、
高校、大学の友だち、東京に来てから出会った友だち、
さまざまなつながりの大事な知人が、ひとかたまりになって
こちらを見守っていてくれる感じが
何よりうれしかったこと。
あったかいなぁ。と。

歌のイメージである、カンボジアの女の子、メコン川、
小雨・・・いくつかを頭の中に浮かべながら弾いているうち、
ちょっと澱んでいた自分の気持ちが
あたまのてっぺんから抜けていくような感覚がやってきて
たいへん気分よく弾いていました。

ステージに立つ以上、決して自己満足ではいけなくて、
そう思うと、どこか便乗させてもらっているような
なんだかほんとに申し訳ないような
縮こまってしまう思いもある反面、
一生懸命な人たちのそばにいてると
こんなにも感化されることがあるのだなーと
いつも、特にライブ後は、そんな気持ちになります。

周囲からも明確なコトバが、どんどん投げかけられます。
自分を客観視して、自分自身に投げかけることも。
その行程は、音楽活動だけに留まらない感じがして
とても興味深く聞いています。

今やひょんがひょんでなくなって、
この先どんなふうにかたちを変えていくのかも
わからないけれど、
そもそも「ひょん」って何なのかしら。

5.03.2008

野の草花

最近気に入っている本といえば、野の草花
1982年出版とありますから、幼い頃必ず読んでいたはずで
確かにページをめくると、懐かしい感覚がふつふつふつ。
理科の教科書にあるような、
丁寧でまじめなタッチの草花の描写に、
ひとつひとつ名前が添えられています。

お店に来たアメちゃんが、ぱっとページを開いて
「ここ覚えてる。」と指したのは、
 " がま " という、まさに野の草といった風貌で
沼地に生える、無駄のない姿かたちのもの。
幼いながらのそのセレクト、
そして彼女の頭の中で行われる知識の整理整頓のしかたに
改めて感心しました。

小学生の頃に一度、友だちと妹と一緒に
近所のレンゲ畑に連れて行ってもらい、立派な花冠をつくって
あたまに載せた記憶がありますが
もはや場所も時間も遠すぎて、夢みたいにぼやけた記憶です。
なんとなくキュロットパンツにベルトをしめてる自分が
お姉さんな気分だったことは覚えているのですが。

おととい、井の頭通りに並ぶ背の高い街路樹にも、
道ゆく人をこっそり見下ろすように、白いお花がついてることに
気がつきました。
今日の雨でずいぶん花が落ちていましたが
ハクウンボク(白雲木)という名前のようです。
信号待ちのあいだ、しばし眺めます。
そんな春の日。東京も3年目。しみじみ。