11.22.2012

見 え な い も の






タイトルに惹かれて手を伸ばした文庫「天体による永遠」。
著者である19世紀の革命家ブランキが、要塞に幽閉されていた時に
書かれたという点で、ものすごく興味が湧いたので。
閉ざされた環境の中、有限と無限について思考を巡らす
その知力たるや。

ブランキ生前に刊行された数少ない出版物が
政治論ではなく天体論であったあたり、詳しく知りたいが
親しい仲で、その周辺を詳しく話して下さる方はいないものか、と
安易な道を無意識に手探りしている。

読書はわたしにとって、ある所では限りなく開かれていながらも
自分だけの、閉ざされた世界に身を置くこと。
自分自身がどれだけ小さな小さな、目にも留まらないほどの点でしかないことや
今生きる時代が、長い時間の流れにおいては一過性のものに過ぎないことを
少なからず実感することができる。

ただその点の上に立ち尽くすしかできないわたしに
先日とてもうれしい機会が与えられた。
初めて開催された読書のフェスにて、作家・小林エリカさんの朗読に合わせ
鉄琴で伴奏を添えるというもの。

エリカちゃんのすごいところは、今わたしたちが生きる時代と、
過去と、これから先の未来を、きちんと理知的に1本の糸で繋ぎ、
それを文章やマンガにして、彼女なりの世界観を崩すことなく
メッセージを投げかけることができるところ。
今回、舞台をご一緒できたことで、彼女の中の揺るぎない芯の部分を
また少し見ることができた。

舞台裏で出演者の方々の人柄に触れられたことも
ほかに代え難い思い出となった。そこに至った全ての道筋に心からの感謝。
わたしなりに今思うことは、読書という、とても個人的で閉ざされたことが
実は誰かと分かち合う瞬間にも繋がる。ということ。

見えないものを分かち合うことができる尊さ。
見過ごさずにいたいなぁ。と改めて。




10.28.2012

好 き な 服




この時期、お洋服の買い物欲を止めるのが至難の業。
ちょっと空いた時間にふらっと入ったお店で
うっとりするようなお洋服に出会ったり。

いつもどこでお洋服買ってるの?と聞かれても
咄嗟に答えることがとても難しい。
色んなところで、気ままに買うし、
洋服好きのお友達にたくさんもらうこともあれば、
10年前に買った服も気に入ったものは毎年袖を通しているし、
両親や祖父母の服を勝手に自分のものにして着ていることも
多々あるので。

でも最近いちばんよく買っているお店は
新潟の古町にあるLIGHT CAVE  ATTIC OF ALICE
ヨーロッパ、北欧の古着を扱っていて
80年代あたりが中心と思われるけれど状態もよいものが多く、
今は生産されていないシャツ生地の風合いや、ワンピースのラインに、
出会ってしまった!とこれまでに何度運命を感じたことか。
年に数回訪れる程度なのに、すっかり顔も覚えて頂いたようで、
普段自分では選ばないメンズテイストなものなど
勧めてもらったりすると、さらに楽しみが広がって
ますます虜になっている。

その他、いいなと惹かれるお店もやはり
そのお店の個性を打ち出すデザイナーの方の世界観や
買い付けられている方のセンスが
確固とした独自のものであるところが共通点のような。
どうしても憧れてしまう、わたしにとって未知の部分が
たくさんあって欲しい。

20代の頃に、お店に並べる書籍だけではなく、雑貨を選んだり、
オリジナルのものを作る仕事をしていた際、
つい「かわいい!」と口を滑らしてしまうことを
その都度咎められた。
どうしてそれがかわいいと思うのか、考えてみて。と。

確かに、自分が心からいいと思えるものは
よく売れたように思う。
素材、かたち、使い勝手、価格、長く使えるかどうか、
他にはない何かがあるか...
結局のところ感覚的だったけど、今思えばよい経験をした。

でもどうしてそれが好きなのか、かわいいの理由を
根っこまで掘り下げて考えるのは、やっぱり今も難しいまま。


10.26.2012

よ い 朝






夏の湿度が消えたせいで、思考が明晰のよう。
暑いうちは勢いでざーっと済ませていたはずのことも
ひとつずつ立ち止まって、その意味を考えたりする頃。
誰かの悲しみも、風にのって伝播してくるくらい。

また武満徹の「サイレント・ガーデン 滞院報告・キャロティンの祭典」を
読み進めているところでもあるので、余計に普段の生活に
耳を澄ませる習性にある。

ーー 病室には生活音が無い。例えばペットの鳴き声、
   水道の皿を洗う音、遠くの子供の声 etc.

当たり前に目の前に在るものへの愛おしみほど
分ちがたいものはないと、朝の光を見るにつけ思う。
どうにか輪郭づけて、ほらほらと見せようとも
まだ少し寝ぼけている間に、あっという間に消えてしまう。

病院というと、思い出すのはやはり祖母のこと。
きっと頭の中は変わらず快活であるのに、
いまや言葉が、体が、ついていかない。
この間、顔を見て帰ろうとしたところ、
祖母の今ある力を残らず振り絞り、私達を呼び止めた声は
すごく強かった。

もう10年以上も前になるけれど、今は亡い祖父を
当時は車椅子に乗って外出していた祖母と2人で見舞った際、
今は面会できないと病院側から告げられた時の、無音の長い長い廊下。
あの時も、祖母の強い意志でなんとかかんとか
祖父に会ってから帰路についた。

そんなことを思い出す傍ら、今朝もちゃんとお腹が空き、目が覚め、
朝ごはんを食べ、今日は誰に会おうか、夜は何を食べようか、と
まるで何とも思っていないように当たり前に、
私は今を幸せに暮らしている。






10.13.2012

休 日 に





もう来年の手帳のことなど考えたりしている。

今年いちばん最初に観た映画「ルルドの泉で」から、
静かに興味の先が繋がっていて
ルルドの泉にまつわる本を、いくつか読んでいた。

それとは別に、浜田山の本屋さんで青土社フェアをしていた際
即座に購入した「フランシス・ジャム散文集」。
分厚い本なので、思い出す都度、かいつまんで読み進めていたところ、
秋になって、"わが娘ベルナデット"という章を見つけ、
先のルルドのお話とベルナデットが、自分の中で一巡してつながった。

そういうささいな繋がりが、小さくたくさん散らばっていることが
私にとって幸せの糧である。

久しぶりに行ったアトリエ Aでは
初めて参加したさちかちゃんと一緒に時間を過ごした。
あどけない少女の風貌そのままに
「わたしはピンクが好き。リボンが好き。舞踏会も好き。」
と、次々と出てくる好きなものは全部全部かわいいもの。

心からときめいたのは、
「アリエルが一番好き。わたし魚座なの。」
と言って、丁寧に人魚姫を描いていたところ。
そうして自分だけに特別に惹き付ける気持ち、
私もすごくわかる!と大きく共感。

アトリエの帰り道、ムギハナの前で
ずっとお会いしたかった方を、ちらとお見かけできたこと、
あきらめかけていた憧れの絶版本が
本屋さんで偶然にも見つけられたこと。

その日に起こったことひとつひとつが
愛しい記憶となって自分の中に折り重なっていく。





7.23.2012

7 月




たぶん大きい感情ほど、時差を越えて押し寄せてくる。
大きければ大きいほど。

京都のFOILは、ぱかーんと窓から景色が見開いていて
そこで観る伴美里さんの作品は、一層鮮明に心に届いた。

美里ちゃんの絵は確かに留まっているのだけれど、
結ぶ ほどける。 育つ 枯れる。 見える 消える。
・・・そういった相反する蠢きのようなものが、
入れ替わり立ち替わり目の前を行き来するような。

その白く発光する作品群の中に、7月のみつあみを見つけた時の喜び!
内緒にして仕舞っておきたかったのだけど、
やっぱり嬉しくって、心から口からとこぼれてしまう。

前田ひさえさんの「七月は金色」も、
大阪で観ることができて、本当によかった。
これはもう展示タイトルから心を奪われていた。
実際に作品に向かい合ったら、ぴたぴたと心にくっついて離れないほど
1枚1枚の絵から放たれるものが、自分の中に飛び込んできた。

2人とも東京に来て出会った、大好きなたいせつな友人でもあり。
彼女たちの作品を大阪・京都と自分に由縁のある場所で見ることができて、
何とも言えない喜びがじんわり心の底を浸している。

でもまだきっと、大きな感情の中にいて
自分で自分の心が掴みきれていないのだけれど。
京都をぷらぷらと歩きながら目に映る景色も、
暮らしていた頃とはまたちがって、新たな思い出になっていく。


6.16.2012

雨 の 日







代々木上原の白ヤギさんから発送された、
塩川いづみちゃんの展覧会のご案内がポストに届きました。
食べずに飾っています。うれしいお手紙。

これくらい雨が降って、空気に水が含まれていると
本当に息がしやすいです。
先日も小雨がぽつぽつ落ちてくる夜に、
表参道の通りをめずらしくビルの上から高く見下ろしました。
雨で緑が濃くなった街路樹は、
日々忙しなく通り過ぎる時の眺めとは、全く違う静かな光景。

ちょっと張り切っておしゃれして
キラキラしたパーティーだったのですが、
思っていた以上に、その場に集った人たちがあたたかく
たくさん笑った夜になったのも、幸せでした。

わたしの東京生活にも、まだまだ新しいページがあるのだなぁ
と実感するこの頃。
東京生活。この響きはわたしにとって
ずっと仮暮らしのような気持ちがあるのですが、
あれ。もしかして東京生活ってわたしの人生そのものなのかも。
・・・と最近うすうす気づいてきているところです。




5.08.2012

いろいろいろ





誰かと話をしていると、
ここでこの色使うの!・・・というような
自分では決して思いつかない驚きが降ってくるのだけど、
ここ数週間は、その驚きがぎゅっと凝縮されていて
その色に自分も色づけされているみたいな感覚。

自分に似合う色が新しく見つかるとうれしい。
ひとつの色と思っていたのに、じっくり目を凝らすと
グラデーションがうまれて、いくつかの色に分かれていくことも。

こまかなひとつひとつの出来事は
もう記憶を追いきれないほどに山になっている。
時間の流れにも全く追いついていないけど、
今はたぶんそういう時期なのだ、と捉えられるのも
話したうちの誰かから、色をもらったからと思う。

今の色が経年変化を遂げて、
飴色がかって見えるようになるのも、これからの楽しみ。
5月の鮮やかな新緑を、車の窓からたくさんたくさん見たから
そんなことを思うのかしら。



* 写真は先日のatelier Aで弘毅くんが描いた絵。
  トランプの模様から生まれた妖精!
  弘毅くんとじっくり過ごしたのは密かに初めてで、
  絵に全部ストーリーがあっておもしろかったぁ。
 

3.10.2012

届きました



昨秋お願いしていたFOR flowers of romanceの
リネンベルベットのワンピースが届きました。
ひとつ季節を越えて、手元に届くよろこびは格別なもの。
いまお招き頂いているパーティにはこちらで参席の予定。

まだ見ぬ先の自分に宛ててオーダーし、
時間が巡って受け取る自分。
この循環は、単に洋服を買うという枠を超え、
少し前の自分と、いま現在の自分の対話が生まれる瞬間として
密やかな楽しみを多分に含んでいます。

かつてはお話もできなかった方と
33歳になったからこそお話できることがあったり、
話せなくとも、少なからずその場に居合わせることができたり。
同じ話でも、耳の傾け様や捉え方が自分の中で変化していることに
気づくこともしばしば。

ある時間を越えてから、受けとることができるもの。
そういうものがあるのだなぁ。と最近よく思います。

3.04.2012

日 曜 日



大人になっても新しく友達ができることは
とても幸せなこと。

その友人関係が、本当のものへと深まりゆく様にも
思うところがたくさんあるし、
時間や場所が移り変わりながらも、
芯をもって揺るがない仲にも
かけがえのなさを感じます。

最近、表参道のある場所を通ると、
とてもタイミングよく友達にばったり遭遇することが多くて、
いちいち大きく驚くのだけれども、
自分のいまの脈略に沿って出会う感じもして、
偶然か必然かの線引きはとても曖昧。

一週間はあっという間に過ぎ去るけれど、
また明日から何が起こるかわからない期待も少なからず胸に、
ひとつひとつ頑張ろうと思います。
春もたぶんもうすぐ。



**写真はこの前の日曜日に作ったパンケーキ。我ながらおいしかった。
暮しの手帖が研究を重ねた粉の配合。さすがです。

2.12.2012

何 度 も





2、3年くらいに1曲の割合で
何度も何度も飽きずに聴く曲があらわれる。
端からしたら、きっともう、うんざりなほどに何度も。
もちろん耳にすると、聴いていた頃を思い出す作用が働く。


まさに京都にいてた頃、毎日聞いていたAIR " alone in Kyoto "
のちに映画Lost in Translationに流れて、はっとした。




それからこの2、3年はKyte " They won't sleep "


東京。電車のホームとか、駅から歩く道がありありと浮かぶ。
これはまだ現在のKyteのように洗練される前の
ライブ映像のよう。
ちょっと危ういくらいがいいのだけど。




ここ最近は断然Youth Lagoon " July "


とても現在。


順番に聴いてみると、なんとなく曲調も似てる気がするけど。
リズムの刻み方なんか、ものすごく共通してる。




やらないといけないことがあるのに、
今日はまったく集中力が降臨せず、こうして逃避中。
せっかく取りかかり始めた矢先、
「サンドイッチ」と書くか、「サンドウィッチ」と書くか
迷いはじめ、あっという間に迷走して戻れなさそう。


画も同じのを何度も見たり、
そういえば食べものも同じものを食べ続けたり(チョコレート)、
偏食のきらいがある。


ふぅ。全部明日にしようかな。



2.04.2012

土 曜 日







打合せのあとは、なるべく人ごみを避け
静かに帰宅しようと思っていた土曜日。


ずっと行きたかったpetite robe noireのお店が近くだったので
ふらり立ち寄ったところ、
ほしいと思っていたものを実際に手にし、
やっぱり次来たら買おうと決意。
今日ではなく、次に。


打合せの合間にちょっとお話したことも、
その後立ち寄った吉祥寺で、広がりに広がったおしゃべりも、
土曜日という気持ちの緩さゆえか、
コップのお水をがぶがぶ飲むように
自分の中に勢いよく入ってきた。


限りなくお休み気分だったのだけれども、
今日聞いた言葉は、自分が今、こうして働く上で礎になるもの。
新たな言葉を聞いたというより、
心の中に漂っていた気持ちのひとつに
くっきり輪郭をつけてもらったような感覚。


さらに帰り道に買った本の内容が
今日の話題としっかり繋がっていることには、
もはや驚くことなく、一晩のうちに
とにかく読んでしまうことでしょう。


ちょっと寄り道。のつもりが
収穫の多い土曜日の午後となった。



**写真は恵比寿から渋谷の道すがらにいた招きねこ。

1.28.2012

春にむけて




いろいろ少しずつ積み重ねているところ。


まだ靄がかっているところが多いので
足踏みしてしまいそうになりますが
1歩ずつ前進あるのみです。


詰まっているすきまに、一緒にごはんを食べたり
簡単なメールが送られて来たり、
一瞬まったく違うところに意識をとばしてみたり、
そういうのがうれしいです。
あと誰かしらと一緒にがんばれることね。


ひそかにお正月のリバウンドなのか
久しぶりに大きめのホームシックに襲われていましたが
もう大丈夫そう。


東京生活7年め。
まだまだ知りえない
おもしろいことがたくさんあるみたいです。

1.08.2012

手 拍 子





手拍子を打ちながらうたう歌がある。


拍子にたっぷり間があり、つい思いが巡る。
そもそも拍手の意味合いとは。


皆でそろって手をたたいている時に
ひとつ思いついたのは、
そこに浮かぶ時間や、共有する記憶を
手拍子のたびに掴まえているのでは。と。


拍手の役割はきっと色々あるけれど、
歌いながらのこのひらめきが、今のところ一番しっくりきている。




脈々とつながる時間に則って、これまでも、これからも、
自分は変わらず自分であることを最近切に思う。


今年もたくさん笑って
どうぞよい1年でありますように。
掴まえたくなる時が、さらに多くありますように。